日本一カンタンな「論理的な文章」の書き方

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先日、公衆衛生学の大学院で新入生(といっても皆さん医師としてはすでにベテランですが……)に向けて、「論理的な文章の書き方」についての講義をする機会がありました。
医師兼臨床研究者である筆者は、臨床現場や研究資料にかかわる中で、論理的な文章の重要性を痛感しており、集中的に勉強してきました。

論理的な文章の書き方には明確なお作法があり、実はほぼワンパターンです
そこには文学のようなセンスはカケラも必要ありません。
やり方を一度学べば、会話にも文章にもそのまま使えるため、あらゆる場面で一生役に立ちます

そのため今回の記事では、日常会話から仕事の話、学会発表、論文作成まで、人に何かを説明するときにあらゆる場面で役立つ、論理的な文章の書き方について説明したいと思います。

本記事は、

  • 論理的な文章の書き方を教わったことがない
  • 適切な資料やプレゼンを作りたい
  • 人を上手に説得できるようになりたい
  • 読み手に伝わる論文を書けるようになりたい

そんな方たちのための記事になっています。
一つでも当てはまった方も、一つも当てはまらなかった方も、読んで損のない内容だと思います。

論理的な文章の書き方は、人に何かを説明するときのすべての基礎になります
また、人の話を聞く、本や仕事の資料を読むときにも、内容の理解が圧倒的にスムーズになります
普段まったく文章を書かないという人にも、日常生活で絶対に役立つと自信を持って言えます。


ひとつずつ丁寧に解説していきますが、ざっくり「論理的な文章の書き方」の要点をいえば、以下の3点です。

  • 論理的な文章は「砂時計型のハンバーガー」
  • ひとつのパラグラフにはひとつのトピック
  • 文同士のつながりは「しりとり」

なんだそれ!?と思った方、ご安心下さい。本記事を読めば 、カンタンに理解できるようになります。

しかし先に具体的な要点を知りたい方に、美味しいところだけ8つに厳選してお伝えしておきましょう
人間は一度に7つ以上のことを覚えられない……という言説があるので7つに絞りたかったのですが、どれも絶対に外せませんでした。

  1. 論理的な文章は、次元の違う同じ話の繰り返し
  2. 常に次元=概念の階層構造(抽象⇔具体)を意識する
  3. 同じ次元内では、パラグラフ同士や文同士の縦と横のつながりを明確にする
  4. 1つのパラグラフでは同じ主張を繰り返す(言いたいことは1つのみ)
  5. パラグラフ内の文の構成は、要約→具体的説明→要約
  6. 1文は文頭に既知の情報、文の後半に未知の情報を書く(「既知→未知」の流れ)
  7. 主語・述語・目的語を一致させる
  8. 名詞は同じ単語を繰り返す

これらを理解するだけでも、日常生活と仕事のあらゆる場面で役立ちます。
先程の3点の重要項目と、4がかぶっているようにみえると思いますが、実際は他も重なっています。
そのあたりは、この後を読んでご自身の目でお確かめください。

本記事では、「そもそもどうして日本人には論理的な説明をするのが難しいのか?」から、日米の文化背景も含めて説明していきます
手っ取り早く文章の書き方だけを学びたい方は、「論理的な文章の書き方」からお読み下さい。

ただし、背景知識なしにいくら論理的な文章の書き方を学んでも、根本的なところで誤解が生じ、その活用方法がトンチンカンになってしまいかねません。
是非頭からご一読いただければと思います。

論理的な文章の書き方について、余すところなくお伝えしますので、長くなりますが、お楽しみ頂けると嬉しいです。
それでは、一緒に論理的な文章の書き方についての勉強をはじめましょう。

目次

論理的な文章の書き方を学ぶ理由

さて、なぜいまさら論理的な文章の書き方を学ぶ必要があるのでしょうか?
そもそも医師である筆者が、このような一見文系っぽい記事を書く理由は何でしょうか?

筆者は大学院で、医師をはじめとする医療従事者の皆さんの研究指導……というと偉そうですが、研究の計画から倫理申請、論文の作成などのお手伝いをしています。
その中で、書き手によって、文章の内容の分かりやすさには大きな差があることに驚きました。

大学院で勉学を志す人というのは大抵、勉強が得意で、自分の研究の大切さを皆に伝えたい!という熱意を持った人達です。
彼ら各分野の専門家の方々が、非専門家に向けて書いた各種書類を添削するのが筆者の仕事の一つです。
当然のことながら、筆者は医学的な知識や臨床的な技術に関しては彼らの足元にも及びません。
にもかかわらず、彼らが書いた文章の中には、話が二転三転して、何を書きたいのかまったく理解できないものがときどきあるのです。

話が理解できない大きな原因の一つは、読み手である私に理解の大前提となる背景知識が足りないからだと思います。
そのため、彼らの頭の中にある一番大事な主張を察することができず、最初から順を追って書いてもらわないと理解できないのです。
しかしすべてを理解している人相手なら、そもそも説明や説得をする必要もないはずです。
知識がない人に何かを説明するためにこそ、論理的な文章はあります。
裏を返せば、知識の欠けた相手に伝わらない文章は、書き方に足りないところがある、ということになります。

日本人は論理的な文章の書き方を習っていない

では、どうして相手に伝わる文章が書けないのでしょうか?
それは、彼らがこれまで論理的な文章の書き方を習ってこなかったからです。
これこそが、医師として人に医学的なことを説明をしたり、研究者として文章を書く機会の多い筆者が、本記事を書くことにしたきっかけです。
私たちの多くは、論理的な文章の書き方を習っていません
それは医療従事者とか理系とかに限らず、一部の専門教育を受けた人を除く大部分の日本人がそうです。

日本教育では、論理的な文章の書き方を教えません。
日本では、文章の書き方は作文を中心に習いますが、それは自分の気持ちや感情を表現したり、あるいは道徳寄りの内容がメインです。
筆者自身、小中高と日本の公立学校では、一度も習った記憶がありませんし、大学でも理系だからなのか、一度として文章の書き方の話はありませんでした。

そして大学院まで来ても、講義で「パラグラフ・ライティング」と呼ばれる文章の書き方の存在に少々触れましたが、系統立てて学ぶほどの時間は割かれませんでした。
一方、欧米、特にアメリカでは、「パラグラフ・ライティング」については、早いと小中学校から習い、大学1年生ではより本格的な「アカデミック・ライティング」についてみっちり授業があるところが多いそうです。

私達日本人は、論理的な文章の書き方を習ってこなかったので、その正しいやり方がわからず、いざ必要になったとき”なんとなく”で論理的な文章を書こうとします。
そしてそのお作法を知らない結果、自分の中では”常識”となっている話の大前提が抜けてしまい、肝心の自分の意見が伝わらない文章になってしまいます

よくあるパターンが、
①具体例の羅列だけでまとめがない
②反対意見ばかり書いてしまう
③聞こえの良いことを書こうとして言いたいことからズレる
……などです。
どれも、読み手に本当に言いたいことは伝わりません。

これらの問題は、自分にとって一番大事なことが、自分の頭の中だけでは言うまでもない”常識”になり、相手にわざわざ説明しないために発生します。
もし自分の言いたいことを誰かに伝えたいのであれば、あなたの”常識”をスキップせずに、筋道立てて論理的に文章を書く必要があります。

よくあるパターンについて、少し見てみましょう。

①具体例の羅列だけでまとめがない

論理的」と言われて皆さんがイメージすることの一つが、証拠(論拠、あるいはエビデンス)の提示ではないでしょうか。
よくあるパターンが、「論理的な内容を書いていけばいいんでしょ?」と話の流れや順番を考えずにエビデンスの羅列だけをしてしまうというものです。

ただエビデンスや事実の具体例を羅列するだけでは、論理的な文章にはなり得ません。
論拠となる具体例だけをつらつらと並べても、相手はその話の大前提を知らないので、何を言いたいのか全く伝わらないからです。
自分が何を言いたいのか、まず大枠を伝え、それに関する根拠として、同じ内容の具体的な説明、つまり個別のエビデンスを提示する必要があります。
具体例だけを繰り返している限り、相手には何も伝わりません。

②反対意見ばかり書いてしまう

日本人は謙虚な人が多いためか、自分の考えに対する反論意見を長々と書いて、自分の意見が何なのか埋もれさせてしまっている方も時々おられます。
もちろん反論意見は大事ですが、それは自分の意見がより重要であることを示す比較対象として、です。
つまり「なるほど△△(反論意見)である。しかし、○○(自分の意見)だ」という流れにする必要があります。

③聞こえの良いことを書こうとして言いたいことからズレる

道徳の授業の影響なのか、人が期待しそうな「聞こえのいいこと」を書いてしまい、自分の言いたいことからズレてしまうということも非常に多いです。
読み手がよほどあなたのことを熟知した親しい人でない限り、読み手は書かれたものを額面通りに受け取ります。それでは言いたいことが伝わることは絶対にありません。


このように、文章の書き方が自己流になるために、読み手に誤解されることが多くなります。
それは会話でも同じです。
コミュニケーションに問題がある人の多くは、自分が常識だと思っている大前提を相手に言葉で伝えずに、それ以外の枝葉の部分だけを伝えて、「何故か自分の話は伝わない」「相手が分かってくれない」と思っているように見えます。

伝えたいことがあるから文章を書いたり話をしたりしているのに、相手に伝わらないのであれば、何のためにそんな手間をかけているのかわかりません。
誰もが一度は、論理的な文章の書き方を学んでおく必要があると言えるでしょう。

論理的な文章の書き方はワンパターン

論理的な文章の書き方には、明確なお作法があります。
基本的に書き方はワンパターンなので、一度学べば一生使えます。

文豪を目指すのでもない限り、オリジナルのやり方は不要です。

最初に断っておきますが、これまで学校で習ってきた「起承転結」はまったく使えません!
起承転結の起源「絶句」と呼ばれる4行の漢詩から来たもので、感情を表現することに向いています。
小説などの物語を作るときには大変便利ですが、論理的なことを表現する手段としては役に立ちません

起承転結の「起」「承」で順を追って説明されてきた内容を、「転」でいきなりひっくり返された場合、読み手はどう思うでしょうか。
きっと物語なら「これからどうなるのかな」とワクワクすることでしょう。

しかし論理的な文章の場合は「せっかくここまで理解しながら読んできたのに、これまでの内容は何だったの!?」と読む気をなくすのではないでしょうか。
(ちなみに研究者に向けて一応言っておくと、「助成金の申請」だけは一種の物語であるため、「起承転結」で書くことが推奨されていたりします。しかし今は唯一の例外と思って忘れて下さい。論理的な部分の書き方については共通で、流れが少し変わるだけです。)

論理的な文章の書き方は非常にシンプルですが、汎用性が驚くほど高いです。
たったひとつのやり方を覚えるだけで、何にでも使えるようになり、あらゆる場面で自分の意見を相手にスムーズに伝えられるようになります。
一度やり方がわかると、レポート・スライド・論文作成などの文章を書くときだけでなく、人への説明や会社でのプレゼン、我々医師にとっては患者さんへの病状説明(インフォームド・コンセント)まで、すべてにそのまま使えます。

実際筆者は、患者さんへの病状説明をするときには、必ず論理的な文章の構成を意識しています。
その甲斐あって、筆者自身はコミュニケーションに苦手意識がありますが、患者さんには
「説明がすごく分かりやすくて安心しました!」
「何年も通院しているけど、こんなに持病のことを理解できたのはじめて!」
と好評です。

このように、論理的な文章の書き方を学ぶことは、文章を書くときだけでなく、人生の各場面でも大いに役に立ちます。
これは「話をする」「文章を書く」などのアウトプットのすべての基礎で土台であり、知らなければ大損してしまいます。


論理的な文章の構成は、知ってさえいれば一生役に立つ……にも関わらず、日本ではほとんど習いません。
これはそれを教えない日本が悪いとか、教える欧米が素晴らしい、とかではなく、両言語の文化背景の違いによるものです。

日本語と英語の文化背景の違い

日本文化と欧米文化の違いの大元は、ざっくりいうと日本は「私とあなたは一緒、同じような存在」という考え方で、欧米は「私とあなたは全く違う、共通点がほとんどない別物」という考え方です。

日本は基本的に島国なので、隣に住んでいる人は同じ文化を共有する“身内”なんですね。
そのため人と話す「会話」は、お互いの気持ちの潤滑油としての役割がメインです。だから“共感”がとても大事になります。

一方の欧米諸国は、いろんな民族が混ざって暮らしており、隣に住んでいる人は別の文化や宗教を持つ、まったく知らない“他人”です。欧米の代表たるアメリカもご存知の通り移民の国で、歴史的にも繋がりのない人々が隣り合って生活をしています。
そのため人と話す「対話」では、基本的に自分の立場を相手に理屈で説得することになります。そして相手との関係を結ぶ際には、“契約”をする必要があります。

欧米文化と比較すると浮き彫りになりますが、日本語は、同じ文化背景をベースとしており、皆が同じ考えをしているという発想のもとに作られています
そのため、何かの説明を受けるときに、お互いに分かりきっていることを言われると邪魔くさく感じます。
日本の場合、相手と自分が同じ考え方をしているのが前提にあるので、分かりきったことまでわざわざ言わないのが“粋”です

日本語と英語の文章の構造と捉え方

日本語では自分も相手も考えることはほとんど一緒、という大前提があるので、文章の書き方も「飛び石」のようにポンポンと情報を置いていくだけで大丈夫です。
不要な情報はどんどん省いていけることが、この言語の美しさとも言えます。
お互いが同じように考えることが分かっているので、むしろ相手に少々の解釈の余地を与えるのが、情緒的で良いと考える余裕すら持ち合わせています。
このような美学が、我が国のミニマムな中にも豊かな文化を発達させたのでしょう。

一方英語は、文化背景も考え方すべてが違う人にも意味を正確に伝えることに特化した言語です。
欧米などでは、説明の最中に途中で話が飛んだら、その時点で“説明が下手”と判断されてしまいます
つまり文章においては、「舗装された道路」のようにすべてを地続きで説明する必要があります

日本人からすると、このように自分が分かりきっていることを相手に逐一説明するのは、野暮なようにも感じられます。
しかし自分の“常識”が通用しない相手には、そうせざるを得ないわけです。
相手が自分とは全く違う文化を持っているため、意図した内容と真逆に捉えられてしまうリスクが常にあり、相手に自由な解釈の余地を与えるわけにはいかないのです。

このように日本と欧米の文化は大前提から全く違います。
相手の話が難しくて分からないとき、私達日本人の多くは「自分の頭が悪いから話を理解できないんだ……」と自分を責めますが、欧米人は「相手の頭が悪いから、理解できるように説明できないんだな!」と判断します

筆者は米国からの帰国子女なので、どちらの感覚もなんとなく腑に落ちますが、相手を説得するときなど、違う立場の人に何かを伝えるときには、正直英語の方が圧倒的に便利だと実感しています。
それは、文化背景から当然のことです。
逆にいうと、論理的な話をする際には、日本語話者であるだけで、かなりのハンディキャップを背負っていると自覚します。
個人的には読後の余韻が残る日本語が大好きで、解釈の余地がない英語は苦手なのですが、それはあくまで感情の話で、日本語が人に何かを説明するときにまったく向いていないことは認めざるを得ません。

日本でも、相手が知らないことや少しでも専門的なことを話す場合は、相手は“身内”ではなく“他人”になります。
相手を説得することにかけては英語(やそれに類する言語)ほど機能的な言語はなかなかないので、それに倣いましょう。
説明や相手を説得するような論理的な文章を作るときは、日本語での話し方や書き方は一旦忘れて、英語圏から輸入するのが手っ取り早いのです。
この輸入された書き方が、後述する「パラグラフ・ライティング」です。

英語での文章の書き方を真似すれば、日本語でも分かりやすい文章が書けます。
本記事では、「パラグラフ・ライティング」に代表される論理的な文章の書き方を学びます。

ただし、文章を書く前に先に決めるべき大事なことがあります。

相手を設定する

文章を書くのは、誰かに何かを伝えるためですよね。
ですから当然、それを“誰”に伝えるのかを想定することは、いちばん重要なことのひとつです。
文章を書く前に、まずはあなたが説得をしたい相手を決めましょう

相手は自分と違う背景を持つ“他人”

あなたが何かを説明する相手は“他人”なので、それがどんな人なのかを明確に設定する必要があります。
聞く人や読む人と自分がどの程度前提を共有しているのかによって、説明のやり方や、その情報の深さが変わるからです。

よく「相手の気持ちになって考えなさい」という言葉を聞きますが、筆者はこの考え方はあまり適切ではないと思っています。
これは主観的、感情的な面を中心とした考え方であり、自分と相手が同じ文化圏であるという前提がないと想像すら困難であり、成立しないからです。

しかし相手の視点からものを見る、という考え方は大事だと思います。
我々は“客観的に”相手の目線から、自分の話を理解するにはどうしたら良いかを考える必要があります
これをあらわす表現として、「相手の椅子に座って」という言い方があります。
読み手がどんな立ち位置におり、どのような範囲の知識と語彙レベルを持つ人なのかを検討して、その相手の視点から理解できる範囲内で「説明」を行うことが大事です。

我々が普段使う日本語は「互いに同じことを考えている」という前提のため、自分と他者の境界が曖昧です。
一方論理的な文章は、相手が”内容を理解できない”ことを前提とした書き方をする必要があります
読み手と書き手、お互いの常識がまったく違うことのほうが普通だからです。

大事なのは、「自分の知っていること」を「相手も知っている」と思わないことです。
ひとつ具体例をみてみましょう。

お互いの常識が違う例①「お湯を沸かす」

例えば、あなたが一度も台所に立ったことがないAさんに、ひとこと「お湯を沸かして」と頼んだとしましょう。
「お湯を沸かす」とは、あなたにとっては、以下のことを指します。
「空のヤカンに300mL程度の水道水を蛇口から注ぎ入れ、それをガスコンロの上に乗せて、コンロのツマミを回して着火。コンロの火がヤカンの外にはみ出ない程度に調整し、ヤカンの中の水が沸騰するまで待つ。」

しかしAさんは「お湯を沸かす」というのがどういうことなのかわりません
これには複数のパターンがあり得ます。

例えば、相手はお湯をヤカンで沸かすのかケトルで沸かすのか分からない、あるいは何ml沸かすべきなのか分からない、という段階で理解できていないのかもしれません。

あるいは「沸かさなければお湯にならないはずなのに、なぜ『お湯を』沸かさなければならないのか? 沸かす前は『水』ではないのか? 熱いお湯を再度加熱することに意味はあるのか?」と「お湯を」の意味を履き違えて疑問に思うことだってあり得ます。
するとAさんは「いったいお湯はどこにあるのか? 沸かさないとお湯にならないのに、順番が逆では?」とまったくトンチンカンなことを考えてしまうかもしれません。

「イヤイヤ、『お湯を沸かす』は慣用表現だから、それが理解できない人なんていないって! 何言ってんだコイツ?」と思った方も多いかと思います。

しかしAさんが日本語を習い始めたばかりの外国の方だったらどうでしょう?
たとえ「お湯」「沸かす」「~して」という言葉それぞれの意味を知っていたとしても、「お湯を沸かして」というお願いが、本当にあなたの思ったとおりに伝わるでしょうか?

このように、ある人にとっては当然の表現が、ある人にとっては意味不明な言葉になるのは、実は珍しいことではないのです。
相手がどのような背景を有しているかによって、伝える側が使うべき言葉は変わり、またどの程度具体的に説明するのかは変わってきます。

相手への説明が必要となる場面や論理的な文章では、この例のようなレベルの行き違いが往々にして起こるのを、筆者は実際に数え切れないほど目撃しています。
程度の差はあれ、日常生活や臨床現場で1日に数回は経験しますね……。

特に、自分の仕事に関することなど、ほんの少しでも専門分野に入ると、ごく当然と認識していることが、相手にとってはまったく想像の外ということのほうが多いのです。
専門医の書いた本を同じ科の医師が読んだ場合にすら、解釈が180度違う、という事態がたびたび起こって仰天します。

各先生の名誉のため詳細は伏せますが、筆者の恩師が書いた本に「〇〇の症状が高齢者で初めて起きた場合には、CT検査が必要だ」という一文がありました。
この記述は「基本的に〇〇の症状にはCT検査は不要だ」という業界の”常識”を大前提として、例外としてCTが必要な場合か示されています

ところが筆者が別の病院で勤務中、この本の通りに若い患者さんにCTを撮らなかったところ、他の先生方に「お前の恩師の本にはCT撮れって書いてあるぞ!」と注意を受けたことがあります。
彼らは恩師と同じ科の医師ですが、前提となる診療経験や普段診ている患者さんの層が違うため、この一文を「〇〇の症状の患者には、全員CT検査が必要だ」と真逆に受け取っていたのでした。

後日、恩師にこのエピソードを伝えたところ大ウケしていましたが、これはどちらが悪いということではなく、理解の土台が違うために生じてしまう、不可避の齟齬なのです。
このように同じ専門の範囲ですら、自分の常識と他人の常識は一致せず、自分の意図が相手に正しく伝わるとは限りません。

もう少しみなさんにとっても身近な例をみてみましょう。

お互いの常識が違う例②「頻回に」

医療従事者は、病院でも日常会話でも、よく「頻回に」という言葉を使います
「たびたび」「何度も」のような意味で、(主にはあまり良くないことの)回数が多いことを示すのに使います。
例えば、「頻回にトイレに行く」などです。
医師である筆者の周辺では、この言葉を聞かない日はないほどにごく普通に使われていた日常表現です。

筆者は以前、国語教師の知人との会話中に、この「頻回に」という表現を使いました。
そのときはそのままスルーされましたが、 後日この知人に「前に言っていた『頻回に』が、どういう意味なのかわからなかったので調べました。医療業界用語なんですね」と言われました。

たぶんこの話を聞いた反応は、非医療従事者と医療従事者の方で真逆だと思います。
非医療従事者の方は、「聞いたことないよそんな言葉……この筆者の周りだけで使われてるローカル語でしょ?」という感想を持たれたかもしれません。
一方、医療従事者の方は「え~ッ!? 『頻回に』って表現、一般的じゃないの!?」と衝撃を受けた方も少なくないはずです。
実際、医療従事者の間なら、東京でも大阪でも京都でも九州でもその他の地域でもよく聞く言葉ですし、医学論文にもそれこそ「頻回に」出てくるからです。

このくらい、誰かがごく普通に使う言葉は、他の誰かにとっては全く知らない言葉だったりするのです。
このときは偶然、この知人が言葉そのものに強い興味を持つ人であったからわざわざ調べてくれただけで、通常であれば、理解できないまま、あるいは誤解されたまま流されていたことでしょう。

この一例のように、人に何かを伝えるには、当然のことだと思っている自分の常識や大前提をこそ相手に伝えないといけないため、大変難しいのです。
あるいは、相手に説明をする行為とは、相手の物事を理解するときの枠組み(価値観)を前提にして、その枠組みに合わせて話す、という方法もあります。
どちらにせよ、大前提を共有できている相手にしか、”理論による説得”すら通じないわけです。

この事実を認識しておくことは仕事や日常などあらゆる場面で大変役立ちます。
例えば医師である筆者は、診療している患者さんのしゃべり方などを参考に、病状説明のやり方を変えています。
相手に合わせて、どの程度の範囲の語彙を使うのか、専門用語をどの程度の割合で混ぜるのか、どこまで具体例や比喩にするのか、また数値などの根拠を中心に説明するのか、感情面を中心に説明するのか、などを決めるわけです。
ここまで努力してようやく、自分が伝えたいことの一端を、相手に伝えることができるようになります。

……などと偉そうなこと言っていますが、相手に合わせようと努力したつもりが、全く違う視点になっていることもあると思います。
しかし上手くいかないとしても、その努力は怠るわけにはいきません。
伝えたい相手に内容が伝わらないのなら、説明をしたり文章を書くこと自体が無駄になってしまうからです。

会話や問診、病状説明であれば、相手の反応を見ながら話の修正ができます。
しかし文章を書くときやプレゼン資料を作るときに、明確なひとりの相手を想定するのは難しいものです。
そこで、説明する相手を想定するときの一般的な考え方を一つ知っておきましょう。

相手の想定=「デルブリュックの教え」


講演・プレゼンテーションにおける基本的な心構えとして有名な「デルブリュックの教え」があります。

<デルブリュックの教え>
ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え。
ひとつ、聞き手は高度の知性を持つと想定せよ。


つまり、相手は何も知らないけれど、きちんと説明すれば理解してくれる存在と考えなさいということですね。

もっと極端に筆者流にいうと、「聞き手(読み手)は賢い中学生と思え」となります。
説明する相手は「中学生くらいまでの知識は持っていて、丁寧に説明すれば分かってくれるだけの十分な理解力がある」と考える、ということです。

このデルブリュックの教えは、口頭でプレゼンや説明するときだけでなく、文章を書くときにも大いに役立ちます。

読者は次を予想して読む=「メンタルモデル」

今度は、読み手側がどんなふうに我々の書いた文章を読むのかを考えてみましょう。
読者は常に、次に書かれる内容を予想して文章を読んでいます。

読者は今読んでいる文から、次の文を予想して読むという考え方が「メンタルモデルという名前で提唱されています。
「メンタルモデル」とは、人が頭の中で作る、自分なりの理解の世界のことです。

読者は、今読んでいる一文からイメージして、次の話(文)の展開を予想します。
入力情報から関連情報を活性化して、情報を高速に処理するわけです。
例えば、「信号機」と書かれているのを見る(=頭に入力される)と、「停止」「赤青黄」 「高い」 「ピヨピヨ」など、機能や、色、形、音などの関連情報をイメージします。

この「メンタルモデル」を意識して文章を書くと、読みやすい文章を書くことができます。

読者の「メンタルモデル」を意識=結論が先

読者の予想通りに文章を展開することで、簡単に内容を理解させることができるようになります。

読者に「メンタルモデル」を正しく作ってもらうのに一番簡単なのは、ずばり最初に結論(内容の概略)を書いてしまうことです。
最初に言いたいことの概略を示してしまえば、読者の脳内には適格な「メンタルモデル」を作ることができます。
結論のあとで、次にそれを補足する文章(「サポート文」ともいいます)を書き、説得力や論理性を増せばOKです。

なお、結論とサポート文の順序を逆にするのはNG!です。
書き手は結論を知っているので、その理由から順を追って説明したくなるものです。
しかしそうされると、読み手は結論を知らず、書き手が何を言いたいのか分からずモヤモヤしたまま(そしてときに知らない言葉で引っ掛かり)、文全体が理解できないまま最後まで読み切らなければなりません
結局、最後まで読んでから、さっきまでの具体例はこの結論を言いたいための補足だったのか……と、もう一度具体例が伝えたい真の意味を理解するために読み直す羽目になるのです。

そんなわけで、論理的な文章では結論が先!です。
そして最後にもう一度、同じ結論を少しだけ表現を変えて書きましょう!
(もちろん、内容そのものを変えてはいけません。)
こうすれば、読み手の「メンタルモデル」と、書き手の話の展開がズレることはありません。

論理的な文章の書き方

ここからがようやく本題です。論理的な文章の書き方を一緒に学んでいきましょう。
大事なのは、本記事の冒頭で挙げた以下の3つです。

  • 論理的な文章は砂時計型のハンバーガー
  • ひとつのパラグラフにはひとつのトピック
  • 文同士のつながりはしりとり

ここでいう「文章」とは、本なら1冊、論文なら1つの研究論文など、文章全体のことを指しています。
まずは、論理的な文章の全体像から構成までがわかるように、一つずつ説明していきましょう。

文章全体からパラグラフ、そして文へ

文章は、以下の図のような構成になっています。

文章全体の構成

文章全体を分解すると、まず文の大きな塊である上位階層があり、その下に下位階層があります。
上位階層や下位階層はいくつかのパラグラフのまとまりで、文章によってこの階層が何層あるかは異なります。
本では文章全体を章とすると、その下の階層には「節」「項」のように名前が付けられますが、その名前の付け方は本によって様々です。
ただし一番小さい文のかたまりを「パラグラフ」と呼ぶことだけは、全ての論理的な文章で共通しています。
パラグラフを構成するのが文、文を構成するのが単語です。

文章全体の中の階層構造を意識することは、論理的な文章を書いたり読んだりする上で必須となります。

ここからは、文章全体から、それを構成する各パラグラフ同士の関係ひとつのパラグラフ、そしてひとつのパラグラフの中の文同士の関係一つの文最後に単語……と、大きいものから小さいものへと順に話をしていきましょう。
なぜなら論理的な文章は、どんなに長い文章だとしても、必ず全体の構想を練って、書くべき内容だけを無駄なく書かなければならないからです。
どれほど1文1文それぞれを美しい文にしても、それが文章全体の中で正しく役割を果たしていなければ意味がありません。

ただし、この文のかたまりの最小単位である「パラグラフ」の意味が分かりにくいので、先に少し説明してしまいます。

「パラグラフ」とは?


パラグラフとはなんでしょうか?
パラグラフ・ライティング」という言葉を聞いたことがある人は、おそらく結構いると思います。
しかし、それを説明できる人はどのくらいいるでしょうか?

パラグラフとは「1つのトピックを説明した文の集まり」です。

パラグフラは、一見日本語で言うところの「段落」に見えますが、実は違う概念です。
日本語では、特に区切りがなくても文章が長くなってくると見やすさのために改行するので、段落が意味のまとまりになっていません。
たとえばこの記事も、ブログの特性上、内容のまとまりで改行されているのではなく、平均2~5文で改行されていますね。
(パラグラフ・ライティングに関する記事なので、最初はパラグラフごとで改行していたのですが、画面上だと読みにくくなってしまうため、このような形に落ち着きました。)

パラグラフと近いのは、どちらかといえば「意味段落」ですが、中身の構成が違います。
パラグラフは英語による文章構成を内包した概念であり、日本語にはこの「パラグラフ」に該当する用語がないため、そのまま輸入されているのです。

パラグラフとは、1つのトピックを説明した文の集まりです。
1つのトピック+複数の補足情報で構成されています。
つまり1つのパラグラフ内では、同じ主張をひたすら繰り返すことになります。

もちろん、自分の主張とは反対の意見が出てくることもあります。
しかしそれは、自分の意見をより強く主張するために用いられます。

反対意見を出す場合は、大別して以下の3種類のみと考えて良いでしょう。

論理的な文章で反対意見を出す場合
・自分の意見と「対比」する場合
・「確かにこういう反対の考え方もある」のような「譲歩」をする場合
・自分への反対意見も取り入れて、さらに高次元の解決を目指す「弁証法」を用いる場合

いずれにおいても、反対意見を出して、反論もせずそのまま……なんてことはあり得ません。
必ず最後の結論は、自分の主張に戻ってきます。

A. 文章の全体構成=「砂時計型のハンバーガー」

論理的な文章は、全体を俯瞰すると、砂時計の形をしています。
砂時計とはなんぞや?といえば、①大きな話題から、②小さな話題に話が狭まっていき、③ふたたび最後は大きな話題に戻る、ということです。ボン・キュッ・ボン!というやつですね。
それを形に表すと「砂時計型」になります。

文章全体は砂時計型

論理的な文章の構成=抽象→具体→抽象

論理的な文章は、①まず大枠の話、一般論や総論の話をして、②次に具体的な話や特定の人や物の話などの各論を出し、③またそれをまとめるために一般的な話や総論に戻る、という構造をしています。
別の言い方をすると、①最初に抽象度の高い話をして、②次に抽象度の低い具体的な話をし、③再度抽象度の高い話でまとめる、という形です。

<文章の全体構成>
①抽象的な話:一般的な話、総論(大きな話題)
    ↓
②具体的な話:特定の話、各論(小さな話題)
    ↓
③抽象的な話:一般的な話、総論(大きな話題)

あるいは、大きくて抽象的な話をパンに、様々な具体的な話を色々な具材に見立ててみましょう
文章全体は「パンで具材を挟むハンバーガー」というほうが、イメージしやすいかもしれません。

文章全体は砂時計型のハンバーガー!

さて、ここで出てきたこの「抽象的」とか「具体的」という言葉の意味が少し分かりにくいので、もう少し説明しましょう。

概念の階層構造=抽象↔具体

概念には階層構造があり、概念の次元(抽象度ともいう)が高いものから低いものまでの段階になっています
たとえば「動物」という大きなカテゴリーは、鳥類、哺乳類、爬虫類、魚類などに分類されます。
その中でも哺乳類は、猿、猫、犬、牛などの種類に分かれて、さらに犬はチワワ、コーギーなどの犬種に分かれますね。
そして各犬種の中でも、たとえばコーギーのジョン、柴犬のポチなど、さらに具体的にすることができます。

概念の階層構造



この「抽象度」という考え方は、あくまでも相対的なものです。
今は動物を頂点とした概念の階層構造を書いていますが、「動物」の上に「生物」を書くこともできますし、そのさらに上位概念も存在しますよね。


論理的な文章では、状況に応じてこの「概念の次元」(抽象度)を変えて何度も同じ話を繰り返します
そうすることで、相手に具体例で納得させて、抽象的な話を伝えるわけです
たとえば「ペットっていいよ」という話をするために、「子供とワンちゃんの可愛いエピソード」を語って、「だから家で動物を飼うのっていいよね」と結論づけるようなやり方です。

つまり、まず「抽象度の高い話」から入り、「抽象度が低い話」でその自説をサポートして、最後に「抽象度の高い話」に戻すわけです。
常にこの構造を意識しておけば、文章を書いていて具体例の話をしているうちに、自分が何を話しているのかわからなくなったり、説明がごたついたりせずに済みます。
何かを説明するときには、自分がどの概念の次元(抽象度)の話をしているのかを意識することが大事です。

具体例を並べるときは、概念の次元(抽象度)を揃える

自分の書いている話が、「具体」から「抽象」のどの次元の話であるかを常に念頭に置いておきましょう
特に具体例を並列して並べる場合は、それらの「概念の次元が揃っているか」に注意が必要です。
たとえば「私は柴犬と猫を飼っています」のような抽象度のズレは、会話の中で聞き流す分にはあまり気にならないかもしれませんが、文章では違和感が生じます。
あるいは「私は犬とコーギーが好きです」のように、別次元だが部分的に重なった概念を並べてしまうことも、意外とやってしまいがちです。

犬や猫の話であれば理解に大した支障はありませんが、これがもっと難しい話になると、相手は何の話をされているのか分からなくなり混乱します。
どの次元で説明するのが適切かは、話によるので一概には言えません。しかし、並べたものがきちんと同じ概念の次元で考えられているかは、相手の理解に大きく影響します
普段人に何かを説明するときも、文章を書くときも、自分が伝えたい話を相手に伝えるためには、この概念の階層構造を常に意識しておきましょう。

文章でも会話でも、相手に言いたいことを伝えるコツは同じです。
この概念の次元(抽象度)が鍵になります。

抽象的な話を伝えるために具体例がある

論理的な文章で伝えたいのは主に、具体的な話ではなく抽象的な話です
たとえば、単に「隣の家のポチは可愛い」ということを言いたいわけではなく、「犬は人類の友達だ」という話がしたい、という感じです。
誰かを説得するには、抽象度の低い(具体的な)話を根拠に、抽象度の高い(抽象的な)話を理解してもらう必要があります
抽象的な話から入り、具体的な例で説得して、再度抽象的な話にまとめるのが、相手に伝わりやすい話の典型的なパターン。
その代表例が「パラグラフ・ライティング」です。のちほど詳しく解説しますので乞うご期待!

「話下手」の正体

いわゆる「話下手」というのにはいくつかパターンがありますが、よく喋るにもかかわらず相手に話が伝わらないタイプに多いのが、ひたすら具体例だけが続く話です。
話の最初から最後まで具体例だけが続いて、自分の言いたい意見(結論)が出てこないという喋りかたを、誰しも聞いたことがあるのではないでしょうか。
この手の話は、具体例1……具体例2……具体例3……と話が横へズレていくだけで、いつまでたっても抽象化(一般化)されないため、何が言いたいのかが伝わらないのです。
(……などと解説していますが、筆者はコレ、日常会話でしょっちゅうやっています……皆様はいかがですか?)

もちろん本人に、話を分かりにくくしようなんて意図はありません。
結論はずっと頭の中にあるため、当然すぎてわざわざ口に出さずとも伝わっていると認識しているだけなのです。
しかし相手には、こちらが大前提や常識として認識していることが伝わらないため、どれだけ具体例を示しても理解を得られません

話している本人にとっては、1つ目の意見を具体例を交えて説明し終わり、2つ目の話に入っているつもりなのでしょう。
しかし聞いているほうは、1つの目の命題やその結論が何なのかすら分からず、完全に置いてきぼりです。

このほか、先述のように一文の中で概念の次元が違う内容を混ぜてしまい、相手を混乱させることもあります。
これは話の抽象度を意識せず、一般論と具体例が、話し手の中でもごっちゃになっているために起こると考えられます。

このように、概念の次元を意識できているか否かは、文章だけでなくコミュニケーションにまで大きく影響します

B. パラグラフ同士の関係(つながり)

パラグラフ同士の関係は、パラグラフ同士がどうつながるかかで大きく2パターンに分かれます。
縦に(直列に)つながるか、横に(並列に)つながるか、です。

縦のつながりで代表的なのは、「〇〇によって△△になる」のように話がつながる場合です。
1つのパラグラフが「話題Aから話題B」になり、次のパラグラフが「話題Bから話題C」、さらにその次が「話題Cから話題D」……と話が流れていきます。
この「話題A」「話題B」「話題C」「話題D」が縦のつながりです。

一方、横のつながりで代表的なのは、「〇〇の例として△△や□□がある」のように話がつながる場合です。
抽象度の高い「話題A」の具体例として、同じ次元の「話題B」「話題C」「話題D」を示します。
「話題A」について、次のパラグラフで「話題B」について、その次のパラグラフで「話題C」について、さらに次が「話題D」……と並べて説明しています。
この「話題B」「話題C」「話題D」が横のつながりです。


縦のつながりと横のつながりを模式図で表すと、こんな感じになります。

パラグラフ同士の関係(接続)

縦のつながりと横のつながりを、もう少し詳しく見てみましょう。

パラグラフの縦のつながり

パラグラフ同士が縦につながっているというのは、各パラグラフは前のパラグラフを受けて、次のパラグラフへと進む形です。
これは「原因と結果」や「時系列」などを順番に書く場合に使う方法です。

たとえば、パラグラフ同士が縦につながるのは、

第1パラグラフ「Aの問題点はBである。(+具体的な例)」
第2パラグラフ「問題点Bの原因はCである。(+具体的な例)」
第3パラグラフ「原因Cの対策にDが必要である。(+具体的な例)」

のような流れで、因果関係などを順を追って説明するときです。
原因と結果や、時間の経過で話がつながるわけです。

よくあるパターンとしては、まず「現状と問題」を述べ、その「原因」に触れ、さらにその「対策」を説明する、という流れです。
たとえば以下のような書き方です。

第1パラグラフ「A病では、Bが問題となる。Bは~(Bの具体的な説明)」
第2パラグラフ「この問題となるBの主な原因はCである。Cは~(Cの具体的な説明)」
第3パラグラフ「この原因Cへの対策にDの治療が必要である。Dは~(Dの具体的な説明)」

パラグラフの横のつながり

パラグラフ同士が横につながっているというのは、各パラグラフは概念のレベルが同じものが並んでいる状態です。
これは同等な価値のあるもの、特に自分の意見の「理由」や「具体例」を列挙する場合に使う方法です。

たとえば、パラグラフ同士が横につながるのは、

第1パラグラフ「Aの例として、B、C、Dがある」←※概要なので第2パラグラフとひとまとめにすることも
第2パラグラフ「Bとは~(Bの具体的な説明)」
第3パラグラフ「Cとは~(Cの具体的な説明)」
第4パラグラフ「Dととは~(Dの具体的な説明)」

……のように同じ次元(概念の階層)の話を並べるときです。

一方、パラグラフ同士が横につながっている場合は、同じ概念の階層(次元)のパラグラフが並んでいますので、説明する情報も揃えます。
そのため、各パラグラフの内容を適切に揃えるには、情報は表にして、もれなく、抽象度を揃えて書くのが大事です。

横のつながりの例として、ある病気に対する複数の治療薬を比較する文章を書いてみましょう。(ちなみに薬価とは薬の価格のことです。)

第1パラグラフ「〇〇病の治療薬として、B薬、C薬、D薬がある」
第2パラグラフ「B薬の薬価は約2000点で、1日3回服用し、内服期間は約2週間である(以降、B薬についての説明)」
第3パラグラフ「C薬の薬価は1950点で、6時間ごとに服用し、内服期間は7日間である(以降、C薬についての説明)」
第4パラグラフ「D薬の薬価は低く、朝夕食後に服用する(以降、D薬についての説明)」

さて、これらのパラグラフの問題点はわかりますか?

では実際に説明する情報を表にして書いてみましょう。

こうして表にしてみると、問題点が分かりやすくなるのではないかと思います。
薬価の点数の抽象度がバラバラだったり、服用回数の表現方法が違ったり、内服期間の単位が違ったり、抜けがあったり……実はかなりテキトーに書かれているのが一目瞭然ですね(笑)。

論理的な文章にして、相手に内容を理解してもらうには、これらの情報は項目ごとに抽象度を統一する必要があります。
抽象度を統一した表を描いてみましょう。

この表を意識して適切に書くと、以下のようなパラグラフになります。

第1パラグラフ「〇〇病の治療薬として、B薬、C薬、D薬がある」
第2パラグラフ「B薬の薬価は約2015点で、1日3回服用し、内服期間は14日間である(以降、B薬についての説明)」
第3パラグラフ「C薬の薬価は1950点で、1日4回服用し、内服期間は7日間である(以降、C薬についての説明)」
第4パラグラフ「D薬の薬価は1780点で、1日2回服用し、内服期間は7日間である(以降、D薬についての説明)」


このように、横につながるパラグラフでは、繰り返す情報の抽象度は揃える必要があります。

以上、パラグラフ同士の関係(つながり)の2パターンがわかりましたでしょうか?
縦に(直列に)つながるか、横に(並列に)つながるか、です。

C. ひとつのパラグラフ

それではいよいよ、論理的な文章の主役といっても過言ではない、「パラグラフ」についてみていきましょう!
このパラグラフの考え方が、論理的な文章の書き方として広く知られている「パラグラフ・ライティング」の真髄です。

ひとつのパラグラフには、ひとつのトピックだけ

1つのパラグラフに書くのは、1つの内容(トピック)だけです。
まず冒頭にトピックとなる文章(トピック文)を1文書き、次にそのトピックをサポートする数文を書きます。
そして最後にまとめとして、トピック文と同じことをもう一度書く
わけです。

このパラグラフの基本形として、大変使える【よくある書き方のパターン】をお伝えします。
筆者が大学受験の小論文対策で習った書き方ですが、レポートなど、自分の意見を主張する文章を書くときに大変便利です。

①最初の1文(トピック文)に「主題と自分の意見」を書きます。
②次にサポート文として、トピック文の意見を肯定する「理由とその具体例」を書きます。
(ちなみにこの「理由と具体例」は3セット程度書くと、多面的で説得力が増します。この部分で字数の調整もできます。)
③そして最後の1文(まとめ文)で、結論として「主題と自分の意見」と同じ内容をもう一度書きます。

図に示すと、以下のようになります。

筆者は主題(Subject)、意見(Opinion)、理由(Reason)、結論(Conclusion)、それぞれの頭文字を取って、SORECと呼んでいました。
全体を俯瞰すると、パラグラフの最初(①)と最後(③)に一般化された内容、つまり抽象度の高い文章を置いて、その間(②)に抽象度の低い(=具体的な)内容を書いているのはこれまでと共通です。

パラグラフに限らず、自分の意見を論理的に伝えることを目的とする文章は、全体でもこういう構造をしていることが多いです。
レポートなども、この構成で書くとわかりやすくなります。

その場合は、

1.「主題S」と「意見O」と「抽象度の高い理由R」のパラグラフ
2.「より具体的な理由Rと具体例E」のパラグラフ✕3セットくらい
3.「結論C」のパラグラフ

のような構成で書くのが便利でしょう。

筆者は高校生の頃からレポートを書くときは必ず、最初に「S:」「O:」「R:」「E:」「C:」と書いてから、本文を記載をしていました。
そのため、大学や大学院で課される課題の中で、レポートだけは結構気楽にこなすことができました。

パラグラフはサンドイッチ

このように、1つのパラグラフには1つの内容(トピック)だけです。
1つのトピックについて、具体的な内容の説明を、そのまとめで挟んでいる形といえます。
この図、何かに似てる気がします……そう、サンドイッチです。

パラグラフとサンドイッチは似てる。

まぁ、先述のハンバーガーでもいいんですけど。
大事なのは、トピックもまとめも内容の概要で、具体的な理由や例という鮮やかな具材を、パンのように挟み込むという構造をしている、というその一点です。

これはハンバーガー……に見えるけど、サンドイッチ?

このような構造をパラグラフ・ライティングといいます。

コラム:論理的な文章は「聞こえの良いこと」を書くものではない

論理的な文章では、「聞こえの良いこと」を書くのではなく、きちんと「言いたいこと」だけを書きましょう
「聞こえの良いこと」とは、日本人が大事にする道徳的な内容を書いた「もっともらしい文章」のことです。

これは日本の作文教育が道徳教育を兼ねていることの弊害といえるでしょう。
日本の学校で習う「作文」は、海外の論理的なレポートではなく、感情に重きを置く随筆の形式に近いことから、内容も「論理」よりも「道徳」が重視されます

そのためパラグラフの最後に道徳的な「聞こえの良いこと」を書かないと、文章がまとまった感じがしない、という人が結構いるようです。
その結果、つい「聞こえの良いこと」を書こうとして、論理的な道筋からズレてしまい、話が迷子になっている文章をよく見かけます。

パラグラフの中身は、トピック文(メインメッセージ)から始まり、その後の文はすべて、同じ内容を概念のレベルを変えて繰り返すだけです。
それ以外の内容を書く余地はありません。
どんなに道徳的に優れた内容も、内容が無関係なら書く必要はないのです。

それでは、「聞こえの良いことはすべて書いてはいけないのか?」と言えば、もちろんそんなことはありません。
「聞こえの良いこと」そのものは、自分の主張の正当性を読者に伝える上でとても重要です。

だからこそ、思ってもいない「聞こえの良いこと」を書くのではなく、自分の真の主張を「聞こえが良くなる」ように書きましょう
この2つは全くの別物です。
同じ「聞こえの良いこと」でも、前者は道徳的なオチが欲しくなって取って付けただけの無用の長物ですが、後者は自分の主張を「読者の心象が良くなる」ように書く必須の技術です。
文章を書くときは、自分の主張の正当性を伝えることだけに注力しましょう。

パラグラフ・ライティングの構成

繰り返しますが、1つのパラグラフには1つの内容(トピック)しか書くことはできません
同じ主張を、色々な抽象度で繰り返して、説得力をもたせます
同じことを何度も書くのは、書き手からすれば、まどろっこしいように思います。
しかし読み手からすれば、それでようやく理解できたり、説得されたりすることになる、必要な手順です。

ここで一度、ひとつのパラグラフの構造を俯瞰するために、パラグラフ同士の関係に戻ってみましょう
以下のように並んだパラグラフを考えてみます。

さて、復習です。これらのパラグラフ同士は何つながりでしょうか?

そう、正解です! 縦つながりですね。

一つのパラグラフには一つのトピックしか入れられないので、書いてある内容はこうなります。
AはBである、理由A’はB’である、具体例A”はB”である……という同じ内容の繰り返しですね。


この中身をさらに、さっきのサンドイッチ(またはハンバーガー)の形でざっくり分けると、図の一番右のようになります。

パラグラフの内訳は、
「抽象的なトピック文1文」
  +
「具体的なサポート文2~6文」
  +
「抽象的なまとめ文1文」
という構成です。

トピック文の具体例がサポート文ですから、当然サポート文をまとめると、トピック文と同じ内容になります。
(サポート文が短い場合や字数制限が厳しい場合には、まとめ文を省略することもあります。)

※第1P=第1パラグラフ、第2P=第2パラグラフ

この際、トピック文は明確に書く必要があります。
よくあるトピック文として「Aについて説明する」がありますが、実はこの表現では片手落ちです

トピック文は、「Aの原因はBである」とか「AにはB、C、Dの3種類がある」のような、パラグラフ全体を要約した内容にする必要があります

文章全体で各パラグラフの文頭だけを繋げても意味が通るようにするのが理想的です
(論文の場合、字数制限などで難しいこともありますが……)

このような構造までを含めて、「パラグラフ・ライティング」というわけです。

コラム:パラグラフ・ライティングを小学校で習っていた件

実は論理的な文章の書き方について勉強している途中で、自分がこのパラグラフ・ライティングをすでに小学校の頃に習っていたことに気づきました

筆者は当時、平日は転校先の米国の公立小学校に、土曜日は日本人学校に通っていました。
あちらの小学校は、「授業を聞く」タイプの一方向性の授業が少なく、「課題を与えられて、自分で本などを調べてまとめる」という学習が多く、かなり困惑したものです。
一方の日本人学校は、皆さんご存知の「聞くだけ」の授業で、馴染み深いものでした。

あるとき筆者の通う米国の小学校で「自分の生まれたときのことを調査して、Wordソフトを使ってエッセイを書く」という課題が出ました。
エッセイに必要な生まれたときの情報自体は、親に聞けばわりと簡単に集まりました。
(海外の子供と違い、日本の子供には乳児期の情報が丁寧に整理された母子手帳があるため、超ラクなのです。)

しかし文章を書くのが苦手だった筆者は、エッセイとやらに、この多くの情報をどう書いたらいいものか検討もつきません。
情報処理室でパソコンを前にフリーズしている私に、先生は「パラグラフの最初にまとめ(トピック)となる文章を書いて、その後にそれに関して詳しく3つの文章を書きなさい。そして最後に同じことをまとめなさい」と教えてくれました。
当時は「なんで情報はたくさんあるのに、同じ内容を何度も繰り返し書くの……? しつこくない……?」と不思議で仕方なく、それでも他にやり方も分からず、先生の言うことにしぶしぶ従ったのを覚えています。

しかし今になって、あのときの先生の指導の意味が理解できました。
あれこそが、パラグラフ・ライティングだったんですね……!

つまり米国の子供たちは、パラグラフ・ライティングの書き方を自然と身につけさせられているのです。
というよりこの場合、教師たちにパラグラフ・ライティングによる文章の書き方が浸透していて、彼らの常識を普通に生徒に教えると、自然とその形になるんでしょうね。

文章をまとめからはじめて、具体例を挟んで、最後にまたまとめるという書き方は、そのくらい彼らにとっては自然なことだったのです。
そしてこのような書き方は、筆者のつたない英文の内容を相手にスムーズに理解してもらうのにも都合が良いものでした。

日本の国語教師の知人達に聞いたところ、日本ではこのような文章の書き方の指導はしないと言っていました。
こちらの義務教育で習わない以上、論理的な文章の書き方は、別途勉強するしかないようです。
後でする苦労を思うと、正直「小中学校から教えておいてよ……」と思わなくもないですが、日本の言語文化も大事にしなければならないので、仕方ないのかもしれません。

ちなみに「そんな堅苦しい書き方をしたらもはや『エッセイ』じゃなくて『小論文』じゃん」と思われた皆様。
米国の「エッセイ」というのは、自分の気持ちを綴る日本の「随筆」とはまったくの別物です。
米国でいう「エッセイ」は、自分の主張を論理的に説明するための文章なので、「小論文」と構造は変わりません
「エッセイ」ひとつとっても、日米の文化の違いが如実に現れますね。

D. パラグラフ内の文同士の関係

パラグラフ内の各文では、特定の位置に情報を並べると、文同士の関係が分かりやすくなります。
各1文は「文頭の主部(テーマ Theme)」と「その後に続く部分(リーム Rheme)」に分けられます。
文を「文頭」と「文の後半」の2つに大きく分けることで、その構成が分かりやすくなります。

1文は「既知→未知」の情報につなぐ

1文の中では、文頭に「既知の情報」を、後半に「未知の情報」を置きます
つまり1文は「既知の情報から、未知(新規)の情報につなぐ」というのが基本的な書き方です。
未知の情報は、文の後半に提示された時点で既知の情報となります。
そのため、文同士は既知の情報から未知の情報へと、どんどんバトンリレーのように繋がっていきます。

筆者がこの書き方を一番最初に習ったのは、予備校の英語長文読解の講義ですが、これは論理的な文章では広く使われている手法です。
論文の書き方の指導で高名なKali Tal先生の講演会でも、この「既知の情報→未知の情報」の流れが文の書き方の基本と説明されていました。

文頭(テーマ)の「既知の情報」とは、前文までに書いた内容、これまでに議論された話題のことです。
ここには、伝えたい情報の出発点、つまりトピック(Topic)を置きます
要は「何について話すか」です

文の後半(リーム)の「未知の情報」とは、これから書く内容、続く文で発展させる内容のことです。
ここには、強調したい情報や、読者がまだ知らない情報、つまり話のフォーカス(focus)を置きます
要は「トピックについて、どんな切り口で話すか」です

文頭にあるのが既に出てきた情報なので、読み手はその文をスムーズに理解することができます。
そして文の後半に次の文で展開される話題のキーワードが出ると、読み手は脳内で関連情報をイメージできる……これを「メンタルモデル」と言うんでしたね。

このような既知の情報から未知の情報につなぐ方法を「エンド・フォーカス(End Focus)」とも呼びます
文末に新規の重要な情報「フォーカス」を置くことから、この名前がついています。

なぜ文の後半に新しく大事な情報をおくと良いのでしょうか?
その理由は、読み手にとって、文のどの部分が頭に残るのかを考えると見えてきます。
読み手は「止まれ」の合図であるピリオドの手前で、文字を追いかけるスピードを落とします。
そのため文末に新しい情報を置くことで、読者にじっくり時間をかけて読んでもらうことができるわけです。

しかも人間の記憶には、新しいものほど覚えていられる、という特性があります。
これらの理由から、重要な情報は最後におくと良いとされています。

文頭に既知の情報を、後半に未知の情報をおく情報配置が効果的だ、というエビデンスをいくつかお示ししましょう。
まず、「既知→未知」の文のほうが、そうでない文より内容の理解が早く、また「既知→未知」の文のほうがより早く正確に思い出せるという研究があります。
さらに雑誌Scienceの研究論文100本を調べた結果でも、Discussionの7割以上の文が「既知→未知」の文だったという結果が出ています。
ちなみにこの配置になっていない文のほとんどは、既知の情報の前に読者の注意を喚起する表現が配置されていました。
つまり、強調のために意図的に定石を外していたこともわかっています。

このように、文頭に既知の情報を、後半に未知の情報をおく情報配置は、読者に内容を伝える上で大変有効で、よく使われていることが分かります。

文章はしりとり

「既知→未知」という一文内での情報配置がわかったところで、次は文同士のつながりをみていきましょう。
一番典型的には「しりとり」のように、前文の後半部分を次の文頭に持ってきます

ただし、前文の後半部分と全く同じ内容でなくても、前文から誰でもイメージできるような内容ならOKです。
例えば、前文の後半に「信号機」について書かれていた場合、次文の文頭に「車道では~」や「歩行者は~」などがくるのは、普通に連想される範囲なので大丈夫です。
また、2~3文前までの文内にある情報も、読者の脳内で活性化されているので、既知のものとして扱い、文頭に置いてOKです。

文を既知の情報から未知の情報につなぐことのメリットは、書き手にも読み手にもあります。
書き手にとっての利点は、文頭に書く内容がある程度決まっているので、文をスムーズに早く書けることです。
そして読み手にとっての利点は、文章の内容がバトンリレーなので誤読のリスクが大幅に減ることです。
文同士が繋がっているため論理のスキップがなくなり、すべてを地続きで説明できるため、誤解の生じる余地がありません

これらのメリットを享受するには、この「未知→既知」の順番を、書き手が文章を後から直すタイミングで考慮したのでは遅すぎます。
真っ白な原稿用紙に向かっている段階で、必ず「既知から未知」の情報につなぐ形を意識して書いてください

文章を書くときには、どうしても自分が思いついた順に言葉を並べてしまいがちです。
我々は脳内で日常的に日本語による言語思考をしているので、よほど意識しない限りそうなるのが自然なのです。

しかしよほど理路整然と話のできる人でない限り、思いついた語順のまま文章を書くと、言いたいことが相手に正しく伝わりません
読み手がよりスムーズに文章を理解できるようにするには、書き手側が文と文のつながりを常に意識する必要があります

読者は、それまでに出てきた話題と無関係な情報が来ると、混乱して迷子になってしまいます。
たとえ間接的には関係している内容でも、それを読者が即座に理解できないのであれば同じことです。
(もちろん、次文に前文と直接関連のない情報を書くなんてのはもってのほかです!)
読者が次の文を予測しながら読んでいることを忘れず、一文一文「既知から未知」の順で構成しましょう。

コラム:英語の文法でイメージするとわかりやすい?

母語だとどうしても自分の思考のまま書いてしまうので、正しく書いているつもりなのにうまく人には伝わらない……とお困りの方。
我々がもっとも親しんでいる(ハズの)外国語、英語で考えてみると、日本語から思考を切り替えることができるかもしれません。
といってもあくまで“日本語で”英語の文法をイメージするだけで、英語そのもので書く必要はありません。

学校の英語の授業で、主語S、述語V、目的語Oや補語Oについて、「SVO」や「SVC」という文型を習ったことがあると思います。
この中で、主語Sには「1つ前の文で出てきた内容」を、目的語Oや補語Cには「新しい内容」を書くことを考えてみてください
(SVOOやSVOCもほとんど同様です。主語Sには1つ前の文で出てきた内容を、目的語Oや補語Cに新しい内容を書きます。)

英文を意識して書くと「未知→既知」の流れが見えやすくなります
Sで既出のことを書き、OやCに新規のことを書くと、前後の文同士がつながるようになり、話が読者にスムーズに伝わりやすくなります。

つまり、同じ内容を色マーカーで塗ると、以下のようにとなります。

SVOSVCSVOSVO……

まるで「しりとり」のようですね。
前文のOやCに出てきた内容を次文のSに書き、その連続で文章を繋げていけば、自然と綺麗な流れの文章を書くことができます
逆に、前文には出てきていない話が次文のSに急に出てくると、読者は次は一体何の話をされるのかと混乱し、迷子になってしまいます。

英語の文型と「未知→既知」の流れを意識すると、話題の飛躍を起きにくくなります。
英語の文型と流れを意識しながら日本語の文章を書くだけで、自分の文章を客観視することができ、論理的な文章が書きやすくなります
実際、専門の英文構成者がついている一流英文雑誌の論文では、一文一文がしりとりのように綺麗に並んでいることが多く、とても勉強になります。

皆さんも、騙されたと思って一度試してみて下さい!

E. ひとつの文

ここまでで、文頭に既知の情報を、文の後半に未知の情報をおくという話をしました。
これは、ひとつの文の中では、2~3文前までにあった話題を主語に、これから話したい話題を目的語や述語にするということです。
次は、論理的な文章を書く上でひとつの文の中で注意すべき点をみていきましょう。

主語と述語・目的語と述語が、噛み合っているかを確認する

ひとつの文を書く中で特に重要なのは、主語、目的語、述語がどれなのかを意識して、主語と述語、目的語と述語が噛み合っているかを確認することです。

それではさっそく、主語、目的語、述語について、ひとつずつ見ていきましょう。

主語は、きちんと書く

主語になるのは名詞です。
主語には「私」や「彼ら」その他固有名詞などがおかれ、無意識に省略されることも多いですが、基本的には必ず書くようにしてください
たとえば臨床医学論文では、「我々(研究者)」「研究参加者」や「本研究」が多いのですが、これらは高頻度に省略されています。
しかし、たとえ同じ単語が繰り返されることになっても、論理的な文章を書くためには、まずは主語をきちんと書く必要があります

一度すべての主語を書いた後で、日本語の場合は主語が「私」や「我々」または「あなた」であり、かつ1文の中に主語が1つしかない場合のみ、省略してもOKです。

主語を省略するときによくある間違いが、文中に2つの主語がある(≒2つの動詞がある)のに片方しか書いていない、あるいは両方を省略してしまう場合です。
片方のみに主語が書いてあれば、読み手は当然もう一方も同じ主語だと思います。
主語が両方とも書いていなければ、読み手は2つの動詞の主語が同一だと考え、それが両立する全く別の主語を勝手に想像してしまうかもしれません。

このようなミスは、まず主語が述語が噛み合っているかを意識して文章を書くことで激減します
詳細は「述語」の項で説明しますね。

目的語は、省略しない

目的語も主語と同様に名詞です。
文中でつい省略しがちですが、それでは書き手の想像以上に話が伝わりません
医学論文では「患者」「薬」「治療」、その他固有名詞などが置かれることが多く、こちらも書かれていないことが多いですが、多少しつこくても必ず書いて下さい

述語は、主語を意識し言い切りの形にする

述語は、主語を意識する

述語は動詞です。
述語でいちばん大切なことは、主語と表現が一致しているかを確認することです。

ひとつ例を見てみましょう。

「患者はアンケートに回答したあと、歩行機能を検査した」

この文の問題点が分かりますか?

この文は一見正しそうに見えますが、実は1文の中には2つの主語があり、そのうち1つしか書かれていません
「アンケートに回答した」のは「患者」で、「検査した」のは「医師(もしくは医療従事者)」のはずです。

そのため、主語は統一するか、もしくは2つの主語をそれぞれ書く必要があります
論理的な文章では「そこまでやらなくても、なんとなく意味が通るからいいじゃない?」ではダメなのです。
それは、書き手が全く想像もしないような誤読が、読み手に生じ得るからです。

正しくは以下のような表現になるでしょう。

主語を「患者」に統一した場合:
「患者はアンケートに回答したあと、歩行機能の検査を受けた」

主語を「医師」に統一した場合:
「アンケート調査を受けた患者を対象に、医師は歩行機能の検査を施行した」

「患者」と「医師」の2つの主語をそれぞれおいた場合:
「患者がアンケートに回答したあと、医師はこの患者に歩行機能の検査を行った」

最後の文はかなり回りくどいですが、こう書かないと意味が正しく伝わらなくなってしまいます。
このように、主語が2つになりそうな場合は、意識して主語と述語が噛み合う文章を書く必要があります
ただし、論理的な文章の書き方に慣れないうちは、1文に主語を二つ以上入れるのは失敗の元なので、あまりお勧めはしません。

述語は、言い切りの形にする

日本語は最後にどんでん返しができる、複雑な言語です
これは、述語が最後に来る言語の特徴です。
日本語で何かを説明する場合、文末の動詞ひとつで、それまでの内容を否定したり曖昧にしたりできるため、最後まで気が抜けません

一方、英語の論理的な文章では、そのようなどんでん返しはほとんど起こりません
主語の次に述語が出てきてしまうため、後から内容を否定したり曖昧にすることが難しいからです。

このためか、英文中の述語は、実は主語や目的語よりも重要度が低いことが多いです。
英文では、主語と目的語の関係こそ重要なのであり、述語は両者の関係が肯定か否定かを示しているだけだからです。
そのため、述語はあまり複雑な表現にする必要がありません。英語の中での述語の役割は、とてもシンプルです。

日本人はつい遠慮したり、格式張った言い方をしようとして、語尾を曖昧にしがちですが、英語に習ってできるだけシンプルに、言い切る形を使うようにしましょう

例)✕「~することとする。」
 →○「~する。」

  ✕「~の可能性があるかもしれない」
 →○「~の可能性がある」

接続語は、前後の文と合っているか確認

接続語は、接続詞ですね。
例として「しかし」「すなわち」「あるいは」などがあり、文の流れを説明する目印です。
しかし実際には、接続語はしゃべるときの感覚のまま、なんとなくで使用されがちです。
そのため文を書いた後に、接続語が前後の文の内容と合っているかを確認する必要があります

それが一番適切な接続語か?」を常に考えるようにしましょう。
不要な接続語は削除した方がスッキリすることもあります。

よく見かける不要な接続語の例を挙げましょう。

例)前後で同じAとBの関連を示しているのに「しかし」(逆説)
  前文の話の続きなのに「また」(話題転換)
  前文と全く別の話題なのに「さらに」(追加)

……などなど、挙げればキリがありません。

読み返すと結構あるのですが、書いている最中は気づかないものです。
一通り文章を書き終わってから通読することで、不自然な接続語が目につくようになります
最後に必ず確認するようにしましょう。

F. 単語は各品詞の使い方が適切かチェック

品詞にまで及ぶと、だんだん理系がする話ではなくなってきた気もしますが、仕方ありません。
理系だろうが文系だろうが、この使い方が間違っていると、伝えたいことをまともに伝えることもままならないのです。
とはいえ難しいことまでは語れませんので、論理的な文章を書く上で最低限おさえておきたいところだけをピックアップしてお伝えします。

名詞は、同じ単語を繰り返す

名詞で大事なことは、話題の中心となる単語や固有名詞は同じ言葉、表現を繰り返すということです。
特にトピック(話の主題)となる主語の表現は基本的に変えないで、何度も同じ単語を繰り返した方が良いです。
え、同じ言葉を繰り返すのはダサくない?……と気を使って表現を変える人が多いのですが、実はこれが読み手にとっては混乱の元です。
読み手の方はその新たに出てきた単語が同じものを指しているのか、違うものを指しているのわかりません

それでなくとも論理的な文章の内容は、抽象的な話と具体的な話を行き来しています
色んな次元の例が文中に出てくるので、名詞の表現を変えると、それが次の具体例なのか、以前に話していたメインテーマの話に戻っているのか混乱し、迷子になってしまいます
読み手にそのような余計な労力をかけさせてはいけません。

論理的な文章では同じ言葉を繰り返した方がむしろ、相手に伝わりやすくなります。
文学ではないので、文をオシャレにするために逐一表現を変える必要はないのです。
先述の通り、読者は次の話を予測しながら文を読んでいるので、同じ言葉が使われることでむしろ理解がしやすくなります

繰り返される言葉をどのくらいしっかり読むかは、読者に調整してもらえば大丈夫です。
そもそも論理的な文章というのは内容を味わうための文章ではなく内容を理解するための文章ですので、流し読み・飛ばし読みを前提としています。
同じ言葉ばかりが登場して飽きるな……と読者が思えば、勝手にその言葉をさらっと読み飛ばしてくれますので安心して下さい(笑)。
それはある意味、流し読みができるくらいわかりやすい文章が書けているということです。嘆く必要はありません。


同様に、「これ」や「それ」などの指示代名詞の頻用もあまりお勧めできません
読者にとっては、何を指しているのかとっさに判断がつかないことがあるからです。

指示代名詞は、できるだけ「指示語+名詞」の形にして、誤読を防ぐのがオススメです

 例)△「これは~」
  →○「この手法は~」 ○「これは~の手法で……」

さらに、話のテーマとなる単語は、最初に出てきたときにその定義を説明しましょう
略語を使いたい場合は、まずは必ず正式名称で書いて、その後から使います

文中に繰り返し出てくる単語ほど、書いている人にとってはわざわざ言うまでもない”常識”すぎて、何の説明もされていなかったりするものです。
しかしその”常識”は、まったく違う背景を持つ読者には通用しません
話の大前提となる根本的な部分でテーマを履き違え、話のすべてを誤解したまま、ということも珍しくありません。

そのため、あなたにとっては常識以外のなにものでもないその単語がどういう意味なのか、読者に丁寧に説明し、定義を明記することが重要です。

動詞は、主語と一致した表現か確認する

動詞で一番気をつけるべき点は、述語の項でも述べた通り、きちんと主語と一致した表現になっているか、です。
主語と述語の一致は、論理的な文章に限らず、我々が日本語で文を書く上で一番重要といっても過言ではありません。
なぜなら動詞を主語と正しく対応させることは、日本語では案外難しいからです。

特に動詞が複数ある場合、それぞれが主語と合致していのるかをみる必要があり、これが存外難儀な作業です。
筆者も恥ずかしながら、人に指摘されるまでズレに気づけないことがよくあります……。
これを克服するには、すべての文をできるだけシンプルにして、主語述語の関係を明確にすることが大切です。

助詞は、余計な情報が付け足されていないか確認する

助詞は、言葉と言葉をつなぎ、意味を付け加える役割の品詞です。いわゆる「てにをは」ですね。

助詞で最も気をつけるべきことは、名詞(主語や目的語)と動詞を正しく結びつけているか、です。
特に、余計な情報を付け足してしまっていないかは要チェックです。

助詞に含まれるニュアンスに注意する

例えば、「彼は~」と「彼が~」と「彼も~」ではニュアンスがまったく違いますよね。
「彼は~」は「彼」が述語に対する主語であることをシンプルに示すことが多いですが、「彼が~」や「彼も~」は少し違います。

以下はあくまで例ですが、述語を「言った」にして少し考えてみましょう。

「彼は〇〇と言った」はシンプルな主語と述語の関係です
または次の文で「他の人は何を言ったのか」を示し、比較する形となることもあります。
論理的な文章の範囲では、あまり余計なニュアンスが足されないので、よく使われているように思います。
主語が省略されている文も、主語を付け足すとすればこの形になることが多いでしょう。

「彼が〇〇と言った」は、「他の人ではなく彼」が言ったことを強調したい場合に使います
そしてその強調された「彼が」言った内容も、そのパラグラフの大事なテーマとなることが多いです。
そのため、書く側が特に強調の意図もなく「彼が」を使っても、読んだ側はその部分を重要な情報として頭に入れてしまいます。

「彼も〇〇と言った」は「他にも同じことを言った人」がいることを前文で示した上で使います
「他に言った人」の説明もなく、急に文中で「彼も」と出てくると読者は混乱してしまいます。

このように、助詞には読者が文章の内容を理解する上でとても重要なニュアンスが含まれています
書かれた文は会話のように抑揚をつけることができないため、助詞がその役割を果たしていると考えるとイメージしやすいでしょうか。

文章の内容によって、適切な助詞は違います。
助詞が、伝えたいことや、前後の文の流れと噛み合わない表現になっていないか注意してください

遠回しな助詞相当表現はシンプルな助詞に

日本語は、丁寧な文章を書こうとするとき、何かを直接的に指し示すのを避ける言語です。
これは間接的な表現にすることで角が立たないように……という、コミュニケーション上の気遣いから来ているようです。

そして我々日本人は、丁寧に論理的な文章を書くときにも、同じことをする傾向があります。
つまり、何かを指し示すときに、それを明言するのではなく、その周辺をふんわりと指したくなります。
たとえば、「~は」や「~では」で十分な場合にも、「~としては」「~に関しては」のようなぼかした表現を使いがちです。

このような表現は、格助詞相当句と呼ばれるそうですが、この言葉自体を覚える必要はありません。
「格助詞」は助詞の一種なので、つまり格助詞相当句とは、助詞と同じ意味を持つ助詞より長い表現だとざっくり理解しておけば十分です。

論理的な文章では、わざわざこのように助詞の表現を長くする必要はありません。
むしろ論理的な文章に曖昧さは不要と言っていいでしょう。
指し示すものをぼかす格助詞相当句は、可能な限り直接的な助詞に直しましょう

 例)△「~としては」△「~に関しては」△「~においては」
  →○「~は」 ○「~では」


以下は余談です。
実のことを言えば、このような相手への配慮の意味を持つ間接的表現自体は、英語を含めた様々な言語に見られます。
そのため、日本特有の表現というわけではないのに、なんで日本の文章では問題が生じるの?という疑問を持った方もおられたと思います。

日本語特有の問題点は、相手を敬う心理的な意味での「丁寧な文章」と、相手を説得する論理的な意味での「丁寧な文章」の2つが明確に区別されにくいところだと筆者は考えています。
より正確に言えば、日本の教育では主に「心理的に丁寧な文章」の書き方を習い、あまり「論理的に丁寧な文章」の書き方を教わらないため、前者で習ったことを後者にそのまま適用してしまうことで問題が生じている、ということです。

もちろん、どちらの「丁寧な文章」も、砕けた口語表現を使わないなどの共通点はあります。
しかし、間接的な表現は「心理的に丁寧な文章」で使われるべきもので、「論理的に丁寧な文章」で使うのは適切ではありません
論理的な文章を、前者の意味で「丁寧に」する必要はないわけです。

「論理的に丁寧な文章」とは、本記事で説明してきたような、読者が脳内で具体的にイメージしやすい文章のことです。
その意味で、間接的な表現は「論理的に丁寧な文章」とはむしろ真逆になります
そのため論理的な文章では、このような曖昧な表現の使用は避けるべきなのです。

形容詞・副詞は、削減し数値に置き換える

形容詞は名詞を修飾し、副詞は動詞・形容詞・形容動詞を修飾します

形容詞や副詞を論理的な文章で使う場合は、「それが本当に必要か?」を念頭におきます
特に日本人は、ついつい意味を曖昧にする形容詞や副詞を使いがちです。
それらをできるかぎり削除して、シンプルで具体的な表現にします数値で置き換えられるものはそうしましょう

例)✕「日本ではかなり多い」
 →○「日本人口の約60%と多い」

ムダな形容詞や副詞がないか常に懐疑的になり、文章を具体的かつ端的なものにしましょう

 最後に必ず見直しをしよう

文章を書き上げたら、最後にもう一度、すべての文章を1文ずつ、短くシンプルにできないかを考えてみてください
文章はある程度短くした方が、自分も書きやすいですし、読者も読みやすいものです。
文章が長くなると、気づかぬうちに途中で主語や目的語が変わり、話の内容が相手に伝わりにくくなります
主語・述語・目的語を意識して、端的に1文を書くようにすると、キレイで分かりやすい文章が作れます。
(私はそこを意識しすぎて、研究の指導医に「一文一文が短すぎる」とツッコまれたことがあるので、何事もホドホドが良いとは思いますが……笑)

すべての文を一文ずつ確認しよう!

また、同じ具体的な内容の文章の繰り返しや回りくどい表現をやめると、より相手に伝わりやすい文章が書けると思います
同じ内容の繰り返しが良くないというのはもちろん、抽象レベルの高い最初(トピックセンテンス)と最後(まとめ)の繰り返しや、具体例を変えての内容的な繰り返し、固有名詞などの単語レベルの繰り返しは含まれません。
全く同じ具体例を同じ表現で、または違う表現に変えて繰り返すことです。

読者は一文の前半には既知の情報が、後半には新しい情報が来ると思って読んでいるため、後半にも前文と寸分違わぬ具体的な情報が来ると、「この一文で伝えたいことは新情報は何??」と逆に混乱してしまいます。
正直、筆者も綺麗な文章を書くのが得意とは言い難いのですが、なるだけこの点を意識して繰り返し推敲するよう心がけています。
丁寧な見直しと推敲によって、文章全体がひとつの流れになるよう各文を成形していきましょう

論理的な文章の書き方のまとめ

以上、論理的な文章の書き方について、全体から細部までを順番に解説しました

我々日本人にとってはどうしても慣れない書き方ですので、意識しなければ論理的な文章は書くことができません
筆者自身、子供の頃から学ぶ機会があったはずのパラグラフ・ライティングの概念と、実際の論文の書き方が自分の中で全く結びついていませんでした。
しかし論文の書き方について学ぶ中で、このような書き方こそが世界標準であるということを知りました。

筆者自身もまだまだ学んでいる途中ですが、相手に伝わる文章が書けるように一緒に頑張りましょう!

最後にもう一度、論理的な文章の書き方の要点をまとめておきましょう。まずは3つ。

  • 論理的な文章は「砂時計型のハンバーガー」
  • ひとつのパラグラフにはひとつのトピック
  • 文同士のつながりは「しりとり」

しっかりイメージできましたか?

以下の8つの重要ポイントについても、ここまで読んできた皆様は、もう意味が理解できるはずです。

  1. 論理的な文章は、次元の違う同じ話の繰り返し
  2. 常に次元=概念の階層構造(抽象⇔具体)を意識する
  3. 同じ次元内では、パラグラフ同士や文同士の縦と横のつながりを明確にする
  4. 1つのパラグラフでは同じ主張を繰り返す(言いたいことは1つのみ)
  5. パラグラフ内の文の構成は、要約→具体的説明→要約
  6. 1文は文頭に既知の情報、文の後半に未知の情報を書く(「既知→未知」の流れ)
  7. 主語・述語・目的語を一致させる
  8. 名詞は同じ単語を繰り返す

論理的な文章の書き方についてもっと詳しく知りたい人は、「パラグラフ・ライティング」や「アカデミック・ライティング」で検索してみると良いでしょう。

本記事を書くにあたり多くの本を参考にしましたが、筆者が読んだ中で一番簡単でわかりやすかったパラグラフ・ライティングの本は、ビジネスパーソン向けの「論理が伝わる 世界標準の『書く技術』」です。
(筆者と同じ大学院に在籍している学生の皆様は、大学図書館の電子書籍でも読めるので検索してみてください。)

今回の「論理的な文章の書き方」の記事は、以上になります。
かなりの長丁場となりましたが、お付き合いいただきありがとうございました!

参考文献

  1. 倉島保美, 「論理が伝わる 世界標準の『書く技術』」, 講談社, 2012
  2. 中谷安男, 「アカデミック・ライティングにおけるディスコース・ストラテジー」, 法政大学多摩論集, http://hdl.handle.net/10114/7935, 2012
  3. 小熊英二, 「基礎からわかる 論文の書き方」, 講談社, 2022
  4. 細谷 功, 「『具体⇄抽象』トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問」, PHP研究所, 2020
  5. 出口汪, 「出口の現代文革命ゼロからの解法てほどき」, 東進ブックス, 2001
  6. 出口汪, 「出口式 現代文 新レベル別問題集」, 水王舎, 2020-2023
  7. 出口汪, 「出口汪の使える論理力」,フォレスト出版, 2014
  8. 永田 達三, 「永田の英語の神髄 長文読解法講義」,東進ブックス, 2003
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