救急外来で働くプロフェッショナルの姿勢とは?

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医療者のプロの姿勢=「癒やし屋」を演じよう

昨今、たくさんのERマニュアル本が、本屋の医学コーナーに、Amazonに楽天booksにと、ずらっと並んでいます。
私の上司の若い頃には、救急の教科書は英語のものしかなかったと聞きますから、本当に良い時代になったものです。
(そしてこんなところで救急のブログを読んでいるあなたもきっと、救急分野に限らず、科学としての医療というものに真摯に取り組んでいる人なのだと思います。)

しかし、救急外来での臨床推論よりももっと手前の段階、職業人である「医師」や「医療者」……つまりプロとしての姿勢は、どこを見たら載っているのでしょうか?

我々は、プロとしてどのような心構えで救急外来勤務をすればいいのか?

という疑問の答えは、意外とどこにも書いてありません。
その答えは、実は医学書の中ではなく、あなたのそばにあります。

あなたがどんな病院で勤務をするにせよ、その病院に必ず一人は「この人は患者さんやご家族への心配りがすごいなぁ」と感じる人がいるはずです。
それは必ずしも医師ではなく、看護師さんや検査技師さん、あるいは事務員さんかもしれません。
ときにそれは、後輩だったりすることもあります。

そしてその人の言動こそが、実はこの疑問の答えなのです。

彼らの姿こそ、私達が目指すべき「プロの姿勢」です。
特に「この人は、患者さんやその家族の人生まで考えて診療を行っているな」と感じるような相手に気づいたら、その人の行動を真似てみることをお勧めします。

とはいえ彼らがどのような信念で臨床の現場に立っているのかまでは、誰にもわかりません。
「言動だけマネしても、プロの心構えを知ることにはならないのではないか?」と、形だけ真似するのをためらうこともあると思います。
その気持ちは、とても良くわかります。
では、どうして私は「真似をしてみよう」などと勧めるのでしょうか。

私の恩師に、救急医のT先生という方がいらっしゃいます。
彼は、筆者が学生の時分から、いつも同じことを繰り返し私達に説いてくれました。

「良い医者を演じなさい。どんなときも、『癒やし屋』を演じなさい」

T先生いわく、
「人生を重ねるうちに、大病をして初めて、患者になったときの心細さがわかるようになる。
大怪我をして初めて、真に日常生活で困ることかがわかるようになる。
子供を育てるようになって初めて、我が子を心配する親の気持ちがわかるようになる。
そうして経験を重ねるうちに、いつかの日か……その演技は本物になるから」

これを初めて聞いたとき、良い医者にはなりたいけれど、残念ながら人間ができているとは到底言えない筆者は、「それなら私にもできるかも」と直感しました。
私のようなあまり性格がよろしくない人間というは、往々にして、人前で自分を取り繕うのはとても得意だからです。

誰だって多少なりとも「良い医療者」になりたいと思うものです。
わざわざ他人に嫌なヤツだと思われたいと考えている人は、あまりいません。

そもそも「人を助けたい」「誰かの役に立ちたい」というモチベーションで、医療の道を選んだ人も多いでしょう。
多くの医療者は、少なくとも患者さんから嫌われたくはないはずです。

けれど、たとえば連日の徹夜勤務で疲れ切って、しかも私生活にもトラブルが……そんなときにでも常に「優しい心」を持った状態を維持することは、至難の業だと思います

そんなときに思い出してほしいのが、このT先生の言葉です。
必ずしも常に心から「優しい人」である必要はないのです。
誤解を恐れずに言えば、患者さんに「優しい先生だ」とずっと勘違し続けてもられば、それでいいのです。

私達は、最初から常に患者さんに心を砕く完璧な医療者である必要はありません。
それは、ごく一部の聖人君主にしかできないことです。

そして聖人君主であるからこそ、絶対に理解できない患者さんの心の痛みというもあり、必ずしも「根っからのいい人」であることが、誰にとっても良い医療者であるということにはなりません。
あなたの性格が聖人君主であるにせないにせよ、無理をして自分の性格を変える必要はないのです。

そのかわり、この人は良い「癒やし屋」に見える、という医療者のマネをしましょう
不思議なことに、「いいな」と思う人を真似ているうちに、自分も自然と同じ行動ができるようになります
そのうちに、だんだんと中身もそれに近づいている気すらしてきます
どんなことでもそうだと思うのですが、「行動が先、心は後」です。

私自身もまだずっと、この恩師や、様々なところで出会った「癒やし屋」の皆さんの真似をし続けています。
彼らの真似によって少しずつ分かってきたこともありますが、残念ながら、まだまだ真の意味での「癒やし屋」ではないでしょう。
医者人生をまっとうする頃には、本物になれていたら良いなぁと思います。

患者さんが救急外来に来た理由を尋ねよう

患者さんに寄り添う」という言葉をよく耳にします。
寄り添うというと、なんだか情緒的というか、感情面の話のような曖昧な感じで、イマイチ意味がつかめません。
ですので、こういうふうに疑問を持つとシンプルかなと思います。

患者さんは、どんなことを考えて救急外来に来ているのか?

医学的に明らか軽症であるときや、何日も前から続いており改善傾向の症状など、患者さんに対して「どうして救急外来を受診したんだろう?」と感じることはありませんか?
なかにはそんな受診行動に対して、陰性感情を抱いてしまうこともあるかもしれません。
こういうとき筆者は、そのもやもやを心のなかで抱えません。
必ず患者さんに、何が心配で来たのかを直接尋ねることにしているからです。

とはいえ「なんで救急外来を受診したんですか?」とは聞きません。
そんな聞き方をすると、患者さんに「私の話(主訴と現病歴)を聞いていなかったの?」と思われてしまいます。
さらに患者さんによっては、救急外来を受診したことそのものを責められているように感じる人もいると思います。

ですので、筆者はたいていの場合、こう尋ねます。

「今日、病院へ来るきっかけになった出来事はありましたか?」

これは案外魔法の言葉です。
相手を責められている気持ちにすることもなく、シンプルに受診した理由や、患者さんの心の内を尋ねることができます

例えば、以下のような救急外来でよくある症例を考えてみましょう。

例①
数年前からある夜間の動悸」で深夜に受診したご婦人。心電図は完全に正常。
布団に入ったあと入眠するまでの静かな時間に、自分の動悸を強く感じるのが気になるとのことで、脈の不整や頻脈を感じることはないとのこと。
こんなとき「それは不整脈ではないから大丈夫です」と言えば、患者さんは「ありがとうございました」と帰宅するでしょう。

しかし、ここで病院へ来るきっかけになった出来事を尋ねると、少し意外な答えが返ってきます。
「先日、近所の人が寝ている間に心筋梗塞で亡くなったんです。私も夜に動悸がするから心配で、眠れなくなってしまって……」

「不整脈ではない」と言われたとき、患者さんは「わかりました」とは言いますが、心の中では納得していません。
患者さんが心配なのは不整脈ではなく、心筋梗塞だからです。そして翌日の夜にも同じ動悸がして不安になると、今度は別の病院を受診します。
ここで先に、受診するきっかけを訊いておけば、本人が心配している「心筋梗塞」そのもののリスクの有無を説明することができます

筆者の場合なら、
「今の心電図では、心筋梗塞を疑う明らかなサインはないので、安心して下さい。
ただ、同じことが起きても、心筋梗塞までいかずににもとに戻る『狭心症』は、心電図ではわからないことがあります。
狭心症や心筋梗塞の一番典型的な症状は、胸や鳩尾の締め付けられるような痛みや、象に踏まれるような圧迫感で、特に冷や汗をかくようなときは危ないです。
一般には、いつもより動いたときや明け方に起こりやすいのですが、今までにこのような症状が出たことはありますか?」
と尋ねます。

患者さんは「ないです」と答えることが多いと思います。
あるいは「別の〇〇の症状なら時々ありますけど、それは大丈夫ですか?」という質問が返ってくるかもしれません。

この質問に答えるだけで、患者さんの受診した理由(つまり心の中の心配事)に対して答えを出したことになります
それによって、患者さんが別の病院を受診する手間と、国から支払われる医療費を減らすことができるかもしれません。

患者さんの帰宅時には、もう一度典型的な症状の説明をして、「こういう症状が出た時は、必ずすぐに病院を受診して下さい」と言えば、患者さんは今日の夜から、過度に無用の心配をすることなく、ぐっすり眠れるようになるでしょう。
しかもこれは、私達医療者のリスクマネジメントにもなり、一石二鳥です。

あるいは、こんな例もあります。

例②
「数日前から続く熱」
を主訴に受診した、急性上気道炎の中年患者さん。
重症化のリスクが低いことを確認しつつ、私はいつもどおり受診のきっかけを聞いてみます。

すると付き添いご家族が当然のような顔で「今日はふらついて階段から転がり落ち、それからずっと腰を痛がるので連れてきたんです」なんて話をすることも、実はまったく珍しくありません。

今まで一生懸命にウイルス性急性上気道炎と危険な細菌感染の違いについて説明していたのに、そこから慌てて外傷検索が始まることになります。

「今日、病院へ来るきっかけになった出来事はありましたか?」

救急外来では、毎回聞いて損のない言葉だと思います。

初期臨床研修は、患者さんのためにある

これから救急外来勤務を開始する、研修医の皆さん。
患者さんの診察を始める前に、ひとつだけ忘れないでほしいことがあります。

「初期臨床研修は、研修医のためにあるのではない。医療を受ける患者さんのためにある」

以前、私の尊敬する救急医のA先生が仰っていた言葉です。
私がこのブログに記載している診療のコツはすべて、この言葉を実践するための、ちょっとしたテクニックといっても過言ではありません。

診療をする時は、是非、自分の一つ一つの動作について、常に以下の疑問を頭の片隅に置いておいて下さい。

「私の行動は、真にこの患者さんのためにやっているのか?」

救急外来で働くときは、以下のことを自問自答してみましょう。

  • 患者さんがどんな思いで病院に来たか、どんな思いで帰っていくか想像していますか? 
  • 家に帰ってからの患者さんが、どんな環境で生活しているか分かっていますか?
  • 自分の想像力が及ばないばかりに、安易に詳細な問診や診察、検査、コンサルトを不要と判断していませんか?
  • 逆に、今やっている診察・検査は自分の興味のためだけに行うものではありませんか?
  • 国の逼迫する医療費を無駄遣いしていませんか?
  • 患者さんの貴重な時間を奪っていませんか?

――これらの質問に胸を張って「大丈夫だ」と言える日は、恐らく医者人生の中で一生来ないと思います。

むしろ、これらの問いに「自分は絶対大丈夫だ!」と感じているとしたら……
もしかするとあなたは「大丈夫ではない医者」になってしまったのかもしれません。

医療は医者のためではなく、患者さんの抱える問題を解決するためにあります。
そして私達医療者がすべきことは、患者さんの病気だけと戦うことではありません。
患者さんと同じ方向を向き、患者さん個々人にとっての「最善」に向かって、一緒に歩んでいくことです。

このことを忘れずに医療行為を行っていれば、多くの患者さんには気持ちが通じると思います。
それによって、患者さんとの気持ちの行き違いよるトラブルに巻き込まれる可能性も減り、一石二鳥ですよ(笑)

長い医者人生の中の短い研修医生活ではありますが、それはこの医学という広大なサイエンスとアートの融合体を生涯をかけて学んでいく、その土台を作り上げる2年間です。
皆様が仕事やそれ以外の私生活でも有意義な人生を送れるよう、ERの片隅から祈っております。

もっと深く学びたい人にお勧めの本

今回取り上げたような「医療者としての心構え」について、詳しく学びたい方は、高名な救急医である寺沢秀一先生の「話すことあり、聞くことあり—研修医当直御法度外伝」を一読されることを強くお勧めいたします。
非常に読みやすく書かれていますが、読み返すたびに新しい発見をくれる、大変味わい深い本です。

実はこの本、書いてあること自体は、実に「当たり前のこと」ばかりです。
しかし、あらゆるリソースが常に限界ギリギリの医療の現場で、それを実際に行うことがいかに難しいかということが身にしみている医療従事者には、しみじみ「いい本」だなぁと感じられるのではないでしょうか。

もちろんこの本を読んで、「こんなの当たり前じゃん!」と思う方もいるかと思います。
しかし、その「当たり前」を実際の医療の現場で、我々は本当に完璧にこなせているでしょうか?
あるいは「こんなのただの理想論でしょ!」と言う人もいるでしょう。
そんな方は、理想に近づく努力を、少しばかり忘れてしまったのかもしれません。

この本を読んで抱く感想は、あなたの医療従事者としての心構えの”試金石になると思います。

参考文献

寺沢秀一,「話すことあり、聞くことあり—研修医当直御法度外伝」, 三輪書店, 2018

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